おしゃかさまとはな

sammasati サマサティ

本来の自然な状態

本来の自然な状態

 

 

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人間の『本来の自然な状態』とは…

 

 

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1人1人の内側に

『魂 soul(源泉 source)』があり

その『源泉 source(魂 soul)』と繋がった

宇宙『全ての存在と1つ all one』である

 

宇宙意識と1つである状態です。

 

この『本来の自然な状態』は愛と至福の沈黙の状態です。

 

苦しみがない状態です。

 

生まれてくる前から、生まれた後も、死んだ後も

この状態が『本来の自然な状態』です。

 

 

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 



sammasati サマサティ(right remembrance)
正しく想起する

『The last word is Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha - sammasati.』

瞑想と愛 meditation & love

 

 


花仙人

 

 

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

 

瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

(わたしは第七と九巻をまだ持っていないのでこの写真の中にその2冊の本はありません。)

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 


oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 


oshoの瞑想音楽はこちら、

 

 

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花仙人

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あなんだ ananda さん

あなんだ ananda さん

 

 


おしゃかさまの従兄弟でもありお世話係でもあった、あなんだ Ananda さん。

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はじめまして、あなんだです。

え〜、いろいろありまして、
私もやっと頭頂に花を咲かせる(光明を得る)ことができました。

 

本物の導師(マスターmaster)というのは、
導師の肉体が

生きていても、

死んでいても、

どちらであっても関係なく、
弟子を光明 enlightenment へと導く者なのだな〜と、
自分の体験からしみじみと思いました。

 

光明 enlightenment を得ることができなかったのは、
私がなかなかエゴ ego(欲)を『手放す』ことができなかったからでした。

 

それに『気づいた』のは、
私の従兄弟でもあり導師でもあった
ゴータマ・ブッダの死の次の日でした。

 

その『気づき』により、
私はやっとエゴ(自我・欲)を手放せ
光明 enlightenment を得ることができ、
頭頂に花を咲かせることができました。

 

そして、
なぜゴータマ・ブッダが生前に、
私が enlightenment するのは、
ゴータマ・ブッダが死んだ後だと
私に話したことも、
自分が enlightenment をした時にわかりました。


私はゴータマ・ブッダが死ぬまで、
自身のエゴ(自我・欲)に気づけませんでした。

 

エゴ(自我・欲)に気づけなければ、
それを『手放す』こともできません。


『気づくこと』は
自分を苦しみから救えることも『理解』しました。


そのためには、
自分を十分に『理解』する、

それは、
自分をよーくマスター(master)しなくてはならないこともわかりました。

 

 

導師(マスター)とは、
◯自分で自分を十分に理解している者というマスターと、
◯自分が自分の主人(マスター)であるという意味でもあります。

 


自分が自分のマスターである、ということは、
自分は他の誰かに『所有』されているモノではない、
ということでもあります。

 


自分が自分のマスターになるということは、
真に自由である

ということです。

 

 

他の誰からも

そして自分からも、
束縛や支配やコントロールされることなく自由であり、
自身も他者を束縛や支配やコントロールをして他者の自由を奪うことなく、

お互いを尊重して、お互いに自由を与え合うを生きる者です。

 


自分で自分を十分に理解してマスターしていなければ、

自分を光明 enlightenment へと導けませんし、
弟子たちを光明 enlightenment へと導けません。

 


自分をマスターする、十分『理解』する、

すべての自分のエゴ(欲)に気づけなければ、
すべての自分のエゴ(欲)を手放せなければ、
すべてを明け渡すことが起こらなくては、
光明 enlightenment は起こらないことを、
今は身を持って『理解』しています。

 


今日は私、アナンダのお話をosho zen tarotのカードと一緒にoshoの講話からご紹介します。

 

 

*   *   *

 


アナンダさんは、

ゴータマ・ブッダが光明 enlightenment を得た後からの約40年間、

ゴータマ・ブッダのあらゆる身の回りのお世話をしながらそばにいました。

ゴータマ・ブッダは自身の死が起こることがわかった前日、アナンダさんにそれを告げました。

この時のアナンダの質問によりゴータマ・ブッダが残した有名な言葉があります。


”Be a lamp unto yourself.”
『自分自身の燈となれ。』


oshoは講話の中でこう話してくれます。

 

 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


ゴータマ・ブッダの最期の言葉はこうだった、

 

『自分自身の燈となれ。』

 

ゴータマ・ブッダがまさに死のうとしていたとき、

アナンダが尋ねた--彼が死ぬ前日のことだ、

 

「あなたがいなくなったら、私たちはどうしたらいいでしょう。」

 

彼は言った、

 

『私がいなくなることはいいことだ。
そうすればあなたは自分自身の主人(マスター)になれる。

さあ自分自身の燈となりなさい。

私のことは忘れなさい。

それはいいことだ。

私がいなくなれば、
あなたはきっと私の支配から解放されるだろう。』


他人を支配しようとする人間は、

なんとかしてあなたを奴隷にしようとする、

それは邪悪だ、悪魔的だ。

一方、

自分自身の主人である人間は、あなたがあなた自身の主人になるよう導いてくれる。

そしてなんとかして自分の影響力を減らそうとする。

 

Gautam Buddha's last dying words were,

”Be a lamp unto yourself.”

He was dying, and Ananda asked him, just a day before his actual death,

”When you will be no more, what shall we do?”

He said,

”It is good that I shall be no more. Then you can be your own master. Be a lamp unto yourself; forget me. It is good, because when I am no more you will be freed from my domination.”


Those who try to dominate others will try in every way to make a slave of you. That is evil, satanic.

Those who become their own masters will help you to become masters, and they will try in every way to cut their influence.


CHAPTER22. THE THIRD EYE AND PSYCHIC EYE POWER

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


ゴータマ・ブッダはアナンダさんの主人になるつもりも支配するつもりはありませんでしたが、

アナンダさん自身がゴータマ・ブッダにあまりにも影響されてしまい、

ゴータマ・ブッダが自身の主人となってしまったため、

自分が自分自身の主人であることを『忘れて』しまいました。

ですから、

ゴータマ・ブッダが自分の燈だと思い込んでしまい、

自分で内側に燈を灯すことを『忘れて』しまいました。

それにより、

ゴータマ・ブッダの他の弟子たちが次々と

『自分自身の燈となり』

自分が自分の主人(マスター)となり、

光明 enlightenment が起こっていく中、

自分だけはまだ光明 enlightenment を得ていないことを嘆いていました。

 

さあ、もう少しoshoの講話をご紹介します…

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


アナンダは何度も尋ねました、

 

『私はいつ到達するのでしょうか?』

 

ゴータマ・ブッダは言いました、

 

『私が死ぬまでは、あなたは到達しないだろう。』

 

そしてアナンダはゴータマ・ブッダが死んだときに到達できたのです。

 

Ananda asked many, many times,

”When am I going to attain?”

Gautam Buddha said,

”Unless I die, you will not attain.”

And Ananda could attain only when Buddha died.


CHAPTER2. THE PATH OF YOGA AND THE PATH OF TANTRA

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


アナンダさんがなぜ

ゴータマ・ブッダが死ぬまで光明 enlightenment を得ることができなかったのかを、

oshoは講話の中でこう話します。

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


アナンダ(阿難)はゴータマ・ブッダの弟子の中でも偉大な1人であり、

またもっともそば近くにいた人間だった。

 

しかし、ゴータマ・ブッダの在世中には、解脱を達成できなかった。

 

ゴータマ・ブッダはアナンダとともに40年過ごしたが、

アナンダは達成できなかった。

ところがアナンダより後に来た人々がたくさん達成した。

それが問題となった。

アナンダはもっともそば近くにいた1人だった。

40年間、ゴータマ・ブッダとともに眠り、ゴータマ・ブッダとともに行動した。

ゴータマ・ブッダに寄りそう影のようなものだった。

おそらくゴータマ・ブッダ自身よりも、

ゴータマ・ブッダについてはよく知っていただろう。

 

ところが彼は達成できなかった。

前と同じままだった。

その唯一の障害はごくありふれたものだった。

 

彼はゴータマ・ブッダの年長の従兄弟だった。

年長の従兄弟だった。

それがエゴを生み出した。

 

ゴータマ・ブッダが死んだ。

そこで、ゴータマ・ブッダの語ったことを書き留めるため、大きな集会が催された。

書き留めるなら早いほうがいい。

ゴータマ・ブッダとともに生きた人々もそのうちいなくなる。

だからなんでも記録しておいたほうがいい。

 

だが会衆はアナンダに委せなかった。

 

アナンダこそ誰よりも多く体験している人だった--

ゴータマ・ブッダの言行、その生涯、その歴史…すべてアナンダは知っていた。

彼ほど知っている人はいなかった。

 

 

 

しかし会衆の決定により、アナンダには任せられなかった。

なぜなら、まだ開悟(enlightenment)していなかったからだ。

 

彼はゴータマ・ブッダの言葉を記録できなかった。

 

無明(光明 enlightenment を得ていない)の人間は信用できないからだ。

 

欺いたりはしないだろうが、
無明の人間は信頼できない。

 

 

 

たとえば

彼は、何々が起こったと考え、

それを自分の知るかぎり正しく記すかもしれない。

しかし彼はまだ目覚めてはない人間だ。

 

その眠りの中でなにを見ようとも、
信用されることはない。

 

 

 

だから、記録するのは目覚めた者(enlightenmentの者 )だけと決定された。


アナンダは扉のすぐ外で泣いていた。
扉は閉ざされ、彼は扉のすぐそばで24時間、泣き叫んでいた。

だがアナンダは招かれなかった。

24時間というもの彼は泣き続けた。

 

そして突然、なにが障害だったのか気づいた--

なぜ自分がゴータマ・ブッダの在世中に到達することができなかったのか、

なにが障害だったのか…。


彼は記憶をたどった。

ゴータマ・ブッダとの40年間にわたる生活を。

 

彼が思い出したのは、

入門(イニシエーション)を求めてゴータマ・ブッダを訪れた最初の日のことだった。

 

入門のとき、彼は1つの条件を設けた。

そのせいで入門をすっかり逃してしまった。

彼は真の意味では、まったく入門していなかった。

条件を1つ設けたせいで、入門できなかった。


彼はゴータマ・ブッダのところへやって来て言った、

 

「私は弟子になるためにやって来た。

いったん弟子になったら、

師であるあなたの言うことにはなんでも従うことになる--服従が必要だ。

でも現在のところ、私は兄だ。

だから命じることができるし、
あなたはそれに従わないといけない。

あなたは師ではなく、
私も弟子ではない。

いったん入門すれば、
あなたは師となり、
私は弟子だ。

そうしたらなにも言えなくなる。

だから弟子になる前に、3つの条件がある。

この3つの条件を承諾してから、入門させてほしい。」

 

その条件はべつにたいしたものではなかった。

だが条件条件であり、
そのかぎりにおいて『明け渡し』は全面的ではない。

 

その条件は、ごく小さなもの、まったく愛すべきものだった。

彼は言った、

 

「1つ、私はいつもあなたとともにいる。

あなたは私に『余所へ行け』と言ってはいけない

私が生きているかぎり、私はあなたの影となる。

私に去れと命じてはいけない。

それを約束してほしい。

これから先、私はただの弟子になるから、

もしも去るように命じられたら、従わざるをえない。

でも私はあなたとともにいる。

それは兄に対する約束だ。

余所へ行けと言ってはいけない

私はあなたの影となる。

私はあなたと同じ部屋で寝る。」

 

「第2に、私が『この人間と会ってほしい』と言ったら、いつでもその人間に会ってもらう。

どんなに会いたくないと思っても、承諾してほしい。

もし私が誰かに、あなたのダルシャンを、接見を与えたいと思ったら、それを許してほしい。」

 

「そして第3に、もし私が誰かの入門を許すように言ったら、あなたは拒否できない。

 

この3つの条件を受け入れてほしい。

そのことを約束してから、入門させてもらいたい。

これから先はもうなにも求めない、

なぜなら私は弟子になるのだから。」

 

このことを思い出したとき…

 

結集の扉の前で泣き悲しみながら自分の記憶をたどったとき、突然彼は気づいた--

そもそも入門などしていなかった。

 

なぜなら受容的でなかったからだ。

 

ゴータマ・ブッダは同意した。
ゴータマ・ブッダは「よろしい」と言い、
一生の間それに従った。

 

だがアナンダは逃した。

もっとも近い者が逃した。

 

このことを認識したとき、
アナンダは光明 enlightenment を得た。

 

ゴータマ・ブッダの在世中には起こらなかったことが、
ゴータマ・ブッダのいなくなったとき起こった。

 

アナンダは明け渡した。

 

明け渡していれば、
不在の師でさえ役に立つ。

 

明け渡していなかったら、
生きて目の前にいる師でさえ役に立たない。

 

だから入門(イニシエーション)には、
あらゆるイニシエーションには、
明け渡し surrender が必要だ。

 

弟子となるため、入門(イニシエーション)のためには、
自分自身を『全面的』明け渡す必要がある。

 

「部分的」な明け渡しというものは存在しない。

 

明け渡しとは『全面性』を意味する。

 

「私は部分的に明け渡す」と言うことはできない。

それは無意味だ…まだエゴがある。

 

必要なのはエゴ明け渡すことだ。

 

エゴ明け渡せば、

受容的になり、オープンになる…谷のようになる。

そうすれば頂上は流れ下ってくる。

 

私は象徴的に語っているのではない。

実際にそうなのだ。

 

 

Ananda, one of the great disciples of Gautam Buddha and the nearest, couldn’t attain liberation while Buddha was alive.

Gautam Buddha was with Ananda for forty years, and Ananda couldn’t attain.

But many who came after Ananda attained, and then it became a problem.

And Ananda was one of the nearest – the closest. He was sleeping in the same room with Buddha, he was moving with Buddha for forty years continuously. He was like a shadow to Buddha; as much as he knew about Buddha even Buddha might not have known.

But he couldn’t attain; he remained the same. And a very ordinary thing was the only barrier: he was an elder cousin-brother of Buddha. This created the ego.

 

Buddha died... a great council met to write down whatsoever Buddha had said. It had to be written then. Soon those who lived with Buddha would be no more, so everything had to be recorded.

But the council would not allow Ananda, and only he knew the greater experiences, the statements of Buddha, his life, his biography. This was all known to Ananda; no one knew so much.

But the council decided that Ananda could not be allowed because he was still unenlightened.

He could not record Buddha’s sayings because an ignorant man cannot be believed. He would not deceive, but with an ignorant man nothing is reliable. He may think that something happened, and he may relate it authentically as far as he knows, but he is a man who is not yet awakened. Whatsoever he has seen and heard in sleep could not be believed, so only those would record who had become awakened – they decided.

 

Ananda was weeping just outside the door. The door was closed, and he remained just by the door for twenty-four hours, weeping, crying and screaming. But they would not allow him. For these twenty-four hours he was weeping, weeping, and then suddenly he became aware what had been the barrier – why he hadn’t been able to attain while Buddha was alive, what had been the barrier.

Then he went back into his memories.

A forty-year-long life with Buddha!

 

He remembered the first day when he came to him for initiation. But he had one condition, and that was why he missed the whole initiation. He could not be initiated because be made a condition.

He came to Buddha and he said,

 

”I have come to be a disciple of yours. Once I become your disciple, you will be the master and I will have to follow whatsoever you say, I will have to obey. But right now I am your elder brother, and I can order you and you will have to obey. You are not the master, I am not the disciple. Once I am initiated, you will be the master and I will be the disciple. Then I will not be able to say anything, so before I become a disciple these are my three conditions. Say yes to these three conditions; then initiate me.”

 

The conditions were not very big, but a condition is a condition and then your surrender is not total. They were very small conditions, very loving conditions. He said,

 

”One, I will always be with you. You cannot tell me to move anywhere else. While I am alive I will be your shadow; you cannot order me away. Give me the promise – because later on I will be just a disciple, and if you order me away I will have to follow. This will be a promise given to an elder brother – that I will be with you. You cannot tell me to move anywhere else. I will just be your shadow; I will sleep in the room where you sleep.

 

”Secondly, whenever I will say, ‘Meet this man,’ you will have to meet him. Whatsoever your reason for not meeting, you will have to agree. If I want that someone should be given your DARSHAN – spiritual presence – you will have to give it.

 

”And thirdly, if I say that someone has to be initiated, you cannot refuse. Grant me these three conditions. Promise me and then initiate me. I will not ask anything again because then I shall be just a disciple.”

 

When he remembered this, while he was weeping, crying before the door of the council, after he went back into his memories, he suddenly became aware that the initiation was not there because he had not been receptive.

 

Buddha had agreed. He said, ”Okay!” and he followed the three conditions his whole life.

But Ananda missed, the nearest one missed.

 

And the moment he realized this he became enlightened.

That which couldn’t happen with Buddha happened when he was no more: he surrendered.

 

If there is surrender, even an absent master can help you.

If there is no surrender, even an alive master who is present cannot help you.

 

So in initiation, in any initiation, surrender is needed.

 

To be a disciple, to be initiated, one has to surrender himself totally. And there is no partial surrender.

Surrender means total.

You cannot say, ”I partially surrender” – it makes no sense. Then you are still there with your ego. Ego has to be surrendered, and when you surrender the ego you become receptive, open.

You become like a valley, and then the peak can flow downwards to you.

 

And I am not talking symbolically,
it is so actually.


CHAPTER28. MEDITATION:A NUN BURDENING OF PEPRESSIONS

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


アナンダさんは他の光明 enlightenment を得た弟子たちのように、

『明け渡し surrender』ができていませんでした。

 

 

光明 enlightenment の状態を『思い出す』ためには、

 

自分の内側にある

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

を全て根こそぎ『手放し』

空っぽの0(ゼロ)の無の状態にし


自分の内側にある『魂(源泉)』

『宇宙全ての存在』と1つである

宇宙意識と1つである状態を

再び「感覚」で『思い出す』こと

 

は大切なことですが、

 

私自身の体験からも、

『明け渡し surrender』は必ず必要なものです。

 

 

 

瞑想 meditation をしていき

自分の内側にある

苦しみの原因(種)である

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

を全て根こそぎ『手放せた』からこそ

明け渡し surrender が自然と起こり

光明 enlightenment が突然起こりました。

 


明け渡しは信頼と愛のみです。

 


アナンダさんは、ゴータマ・ブッダのそばで、
あらゆることをしましたが、
他の光明 enlightenment をした弟子たちのように、
明け渡し surrender ができていませんでした。

 

でも、ゴータマ・ブッダの死んだ日に、
明け渡しができていなかった自分に『気づく』ことができました…。

だから、光明 enlightenment が起こった…。

 

やはり自分の苦しみや痛みから逃げずに、
自分の内側を観て感じて、
苦しみの原因に『気づく』ことは
その苦しみが消えるためにも大切なのですね。

 

では、このカードのoshoのお話です。

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 

 

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嘆き Sorrow

 

この痛みは、あなたを悲しませるためにあるのではない。

 

それを覚えておくがいい。

 

人々が見逃し続けているのはそこだ…。

この痛みは、ただあなたをもっと油断なくさせるためにある--

 

というのも、

人々は矢が自分の胸に深く刺さって、傷つかないかぎり、

油断しないようにはならない。

 

生きることが簡単で、
心地よく、
都合がよければ、
誰が気にするかね?

 

油断しないようになろうなどと誰が悩むかね?

 

友人が死ぬと、その可能性はある。

あなたの恋人があなたをおいて行ってしまうと--闇の深いその夜、あなたは淋しく感じる。

 

あなたはその女性をとても愛していたし、
すべてを賭けていた。

 

ところが、ある日突然、彼女は去ってしまう。

 

淋しさに泣きながら、もしあなたがそれらを使えば、
そういう時きそ、『気づく』ようになることのできる機会だ。

 

矢は痛む…。

 

それを使うことはできるのだ。

この痛みは、あなたを惨めにさせるためにあるのではない。

痛みは、あなたをもっと『気づかせる』ためにある!

 

そして、
あなたが『気づく』と、
惨めさは消える。

 

 

Sorrow

 

This pain is not to make you sad,
remember.

That's where people go on missing… .

This pain is just to make you more alert -- because people become alert only when the arrow goes deep into their heart and wounds them.

Otherwise they don't become alert. When life is easy, comfortable, convenient, who cares? Who bothers to become alert?

When a friend dies, there is possibility.

When your woman leaves you alone -- those dark nights, you are lonely. You have loved that woman so much and you have staked all, and then suddenly one day she is gone.

Crying in your loneliness, those are the occasions when, if you use them, you can become aware.

The arrow is hurting: it can be used.
The pain is not to make you miserable,
the pain is to make you more aware!

And when you are aware, misery disappears.

 

from osho talks
oshoの講話より

osho zen tarot 『嘆き(sorrow)』より

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


アナンダさんの嘆きはそのような理由でした。

 

1人1人、それぞれの人生を生きていて、
1人1人、それぞれの苦しみの理由は違います。


100人いれば、その苦しみの理由は100通りあります。

 

oshoはその苦しみの痛みは使えると話します。

『気づき』のために使えると。

 

わたしはこのoshoの言葉に何度も救われました。

痛みから「逃げず」、
ひたすらその痛みを「感じ」、
全身全霊で
その痛みの「声」に耳を傾けました。

 

すると、

痛みの「声」がはっきりと聞こえて見えるのです。

 

不思議と、

その痛みの「声」を聞いたり見るだけで、
痛みの『理解』が起こると、
痛みはふっと消え去ってなくなってしまいます。

 

なぜ自分がそれによって苦しんでいたのか?

の理由が腑に落ちてわかると

苦しみはふっと消えてなくなるのです。


どんな知識も、
どんな技術も、
どんな魔術も、
どんなお金も、
まったく必要なく、

 

苦しみに『気づき』『理解』が起こることで、
自然とそれは消え去るので癒しが起こります。


それが瞑想の素晴らしさです。


自分で自分を苦しみから救う。

 

わたしの長年の瞑想体験から
瞑想は人間の本能である自己治癒力を
最大限に利用した癒しだと『理解』しました。


救世主は自分自身だった。

 

自分を苦しみから救いに導くマスターは
自分自身だった。


もう、救世主(メシア)を待ち続けて、
癒されないまま苦しみ続ける生き方は終わりです。

 

1人1人が自分自身の救世主です。

1人1人が自分自身の究極のヒーラーです。

1人1人が自分自身の導師(マスター)です。

 

 

”Be a lamp unto yourself.”
『自分自身の燈となれ。』

 

 

それだけが真実だと深く理解が起こりました。

 

アナンダさんも自分の痛みから逃げずに
自分の痛みと苦しみと向き合ったから、
ゴータマ・ブッダの死後やっと、
自分のエゴ(欲)に『気づき』『理解』が起こり、
はっと腑に落ちて、
光明 enlightenment が起こりました。

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 



sammasati サマサティ(right remembrance)
正しく想起する

『The last word is Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha - sammasati.』

瞑想と愛 meditation & love

 

 


花仙人

 

 


f:id:hanasennin9:20161201125334j:image

The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

 

瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 


oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations



oshoの瞑想音楽はこちら、



今日ご紹介したoshoの講話は、

『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズの中から

 

Vigyan Bhairav Tantra, Vol 1

 

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each).The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also came with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

Talks given from 01/10/72 pm to 01/03/73 pm English Discourse series


この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。

http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 


今日ご紹介したoshoの講話の日本語に翻訳された本はこちらです。

『第三の眼』

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『沈黙の音』

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

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シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

(わたしは第七と九巻をまだ持っていないのでこの写真の中にその2冊の本はありません。)

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

   

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花仙人

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おしゃかさま②

おしゃかさま②

 

 

 

ゴータマ・ブッダ(おしゃかさま)が地球の人間に貢献したことは、

 

人は自分で自分を苦しみから救うことができる、

それは本来の自然な状態『魂(源泉)』と『存在全ては一つである』

という真を『思い出す』こと(光明 enlightenment を得る)である

 

sammasati

 

と伝え続け、

 

1人1人の苦しみに耳を傾け

それぞれにわかりやすいように

1人1人の自分自身の内側にある

苦しみの原因(種)である

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

に自分で『気づく』ように導き

それらを自分で『理解』が起こることで

自然と苦しみの原因(種)を『手放す』ことができるように導き

多くの人々が自分で自分を苦しみから救い出せたことです。

 

 


ゴータマ・ブッダは自分の体験により

内側から得た真理をみんなも得られるようにと

分かち合い導く慈悲深い導師(master)でした。


ゴータマ・ブッダはみんなの導師となりましたが、

光明 enlightenment が起こるまでの間

彼は自身を導いてくれる導師とのご縁や出会いはありませんでした。

もちろん、その当時にも導師といわれる人達はいましたが

運命なのか彼の導師となる人との縁はなかったのでした。

 

自分だけで自身を導く運命だったのでしょうか。

彼は手探りで光明 enlightenment が起こるために

自身の内側を1人で探究するしかありませんでした。

 

 

ありとあらゆることを何年間も試したゴータマ・ブッダ

全てやりつくし、もうこれ以上やるべきことがない…

と思ったある日

菩提樹の木の下でなにもせずリラックスをして

ゆっくりと眠りました。

その眠りから目が覚めた早朝、

42歳の12月8日の朝、菩提樹の木の下で

光明 enlightenment を得ることが起こりました。

 

 

それまでの生まれた後から作り上げた偽りの自分が全て死んで

生まれる前からある本来の自然な状態を『思い出す』光明 enlightenment が起こった…

 

 

今日はゴータマ・ブッダと彼の家族とのお話のカードをご紹介します。

 


ゴータマ・ブッダがなし得たことは素晴らしいことだったのですが、

真理を探究し光明 enlightenment を得る探究者(サニヤシン)になるには難しい立場にありました。

なぜならば、彼は一国の偉大なる王の息子である王子だったのです。

 

家族のいる宮殿を去り

王の唯一の後継者である自分が王子であることをやめて、

1人の探究者として生きることを父親である王が許すはずもなく、

王族の家族から大反対にあうことは目に見えてわかっていました。

 

それでも、

彼は自分の内側から湧き上がってくる思いに抗うことはできず、

自分の直感を信頼して、

自分にとって正しいと感じる道を選択しました。

 

で、

夜逃げ決行です…

 

今ならば、王子が夜逃げ!?

とワイドショーで騒がれること間違いなしσ(^_^;)

きっと、当時も騒がれたことでしょうσ(^_^;)

 


ゴータマ・ブッダ

王子ではなく

内側にある真理を得るための探究者になる運命は、

彼が生まれた時、占い師によって父親の王には伝えられていました。

 

ですから、

 

父親である王は

息子ゴータマ・ブッダが探究者にならず

王を引き継ぐようにするために、

ゴータマ・ブッダが幼い頃から全てを与えて

なに不自由なく生きれるようにと、

季節ごとに快適に住める宮殿を数箇所に作って住まわせたり、

探究者に興味を持たせないために探究者(サニヤシン)を見せないようにしたり、

また探究心を持たせないために死について学ばないようにさせるために、

老人や病人や枯葉などを見せないように宮殿には美しい若い男女しか住まわせず、

枯葉は常に取り去られて見せないようにしたりと

ありとあらゆることを必死で工夫したのですが…

 

ある日王子が宮殿の外に出ることがあり、

みんな気をつけてはいたのですが、

その日に限って、

彼は老人を見たり病人や死人や死体を焼く火葬場を見てしまいました。

そして探究者(サニヤシン)をも見てしまったのです。

 

彼は病人や老人をはじめて見て、

そのもの達も自分と同じ人間であることに驚き、

はじめて全ての人間が自分をも含めて病気になったり老いて死ぬことを知った瞬間でした。

 

今までの宮殿内での豊かで穏やかでなんの苦しみのない楽園のような暮らしとは

全く違う世界を知りました。

 

世の中にはこんなにたくさん苦しんでいる人達がいるのかと…

 

ゴータマ・ブッダは人々を苦しみから救いたいと強く思いました。

それはもう誰にも止められないほどの揺るぎない思いとなりました。

そして、人々を苦しみから救うための答えを見つけるために

探究者になることを自然と選んだのです。


父親である王が恐れていた占い師の予言が現実となったのです。

 

長年父親である王は占いの予言どおりにならないように

すっごく頑張ったのですが、

定められた運命には逆らえなかったのか、

探究者になるために息子王子は夜逃げ…


さてさて、

前回に引き続き、導師(master)ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の

お話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。

 


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commentary(解説)…


あなた自身の感じていることが完全に正しいとされていて

--しかもあなたが、自分はまったく正しい!と感じる--

そのような状況においてすら、

それでもなお、

これまでにあなたが知ってきたあらゆることを超えている、

なにかの可能性に対して開いていなさい。

過去の体験から飛び出して、まったく新しい次元に飛び込みなさい。

 

 

osho…


ゴータマ・ブッダ

真理を探究するための探究者(サニヤシン)になるために宮殿から去った頃は

彼の妻ヤショダーラが赤ちゃんを産んだばかりだった。

 

彼は宮殿から去る前、

最後に一目自分と妻の愛の証である赤ちゃんを見ようとして妻の部屋へと向かった。

妻も赤ちゃんもぐっすりと眠っていた。

 

赤ちゃんはブランケットに覆われていて顔が見えなかった。

もしかしたら2度と帰ってはこれないかもしれないから

ブランケットをずらして赤ちゃんの顔を一目見たかったのだが、

妻のヤショダーラが起きてしまいどこへ行くのか?と聞かれ、

夜中にぐっすりと眠っている宮殿のみんなを起こし、

そこに父親がよばれ宮殿を去ることができなくなることをおそれてできなかった。

 

彼はただ去った…

 

それから長い年月が経った。

ゴータマ・ブッダが42歳で光明(enlightenment)を得て、

最初にしたことは、

自分の家族のもと宮殿に帰ることだった。

そうすることで、 彼になにが起こったかを彼らが知ることができるように…。

そして、以前自分が愛していたそれらすべての人びとを彼が思い出したというのは自然なことだ。


彼はまず最初に父親に会った。

父親である王はとても怒っていた。

父親は光明を得ることが素晴らしいことだとは知ってはいたが、

父親にとっては息子である王子が

自分のあとをついで王になることだけを望みただただ怒った。

 

その後に妻と息子に会った。

だが彼の妻、ヤショダーラは、非常に怒っていた。

それもまた自然で、人間的だ。

 

ある夜、この夫は、行くということを告げることすらせずに、突然逃げ出した…。

その傷は深かった。

そして、あなたは驚くだろうが、

その傷は、ゴータマ・シッダルタ(ゴータマ・ブッダが光明を得る前の名前)が

彼女を置き去りにしたからではなかった--それは問題ではなかった。

 

彼女はこの人を途方もなく愛していたので、

もし彼が自分の内的な探究のために森に行くことを望んでいたのなら、

彼女はそれを許していただろう。

 

傷は、彼が彼女になにも言わなかったことだった。

 

彼が彼女を信頼していなかったことだった--それが傷だった。

 

その違いを見てごらん!

 

これが彼女を痛めていたことだったのだ--

「なぜ彼は私を信じることができなかったのだろう…?」

 

そして彼が着いたとき、突然、彼女は怒っていた。

彼女の怒りは爆発した。

彼女は言った。

 

「なぜあなたは私に言わなかったの?

私はあなたを妨げはしなかったでしょう。

それに、あなたは私を知っているではありませんか--

ほんとうによく知っているのに。

私たちは何年も一緒に暮らしたのよ。

私が一度でも、なにかのことであなたの邪魔をしたことがあったでしょうか?

私はあなたをとても深く、とても広く愛していました…

私があなたの探究の妨げになることはなかったでしょう。

なぜあなたは私に言ってくださらなかったのですか?」

 

彼女は何度も何度も彼にたずねた。

それから怒って、息子を呼んだ。

ゴータマ・ブッダが去ったとき、その子は生後一ヶ月にすぎなかった。

今では彼は十二歳で、絶えずたずねていた。

 

「私の父はどこにいるのですか?私の父は誰なのですか?」

 

彼女はその少年を呼んで言った。

 

ラーフラ、この人があなたの父親です。

彼は臆病者のように逃げたのです。

この人があなたに生を与えたのです。

さあ、財産を譲ってもらいなさい!」

 

彼女はあざけって挑発していた。

ゴータマ・ブッダはいまや乞食だったからだ--どんな財産を?

彼はいったいなにを得たのだろう?

 

そしてゴータマ・ブッダはどうしたか、

あなたはわかるかね?

 

彼はその子を弟子にイニシエートした。

彼は、その子に自分の乞食用の鉢を与えて言った。

 

「私はほんとうはこのために来たのだよ。

私は見い出した。

そして私の息子にも見い出してほしい。

そしてヤショダーラ、この怒りはもう終わりにしなさい。

今ではもう意味がない。

お前が怒っているその男はもういないからだ。

私は死んで、再び生まれている。

私はお前の激しい怒りを理解することはできるが、

あの夜にお前を置き去りにしたその男はもういない。

もう一度私をみてごらん!」

 

目は涙でいっぱいになっていたが、彼女は見た…そして認めた。

 

彼女の怒りはすべて消えた。

彼女はゴータマ・ブッダの足もとにひれ伏した。

イニシエーションを求め、彼の弟子になった。

 

 

from osho talks
oshoの講話より

The Perfect Master vol.2

この講話の英語のPDFダウンロードはこちらです。

http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=10

 

The Book of the Secrets vol.5

この講話の英語のPDFダウンロードはありません。


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより

 


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


ゴータマ・ブッダは純粋に多くの人々を苦しみから救いたいと思い、

その答えを得るためだけのために、

その揺るぎない自分の思いだけを信頼して

愛する家族や豊かな暮らしのある宮殿から去り

探究者となるために森へ行きました。

(ここからはoshoが講話で語ったお話をご紹介します。)

 

 


ゴータマ・ブッダは自分の宮殿を後にした。
彼は臆病者でもなければ逃避者でもなかった。

 

ではなぜ、彼は宮殿を去ったのだろう?

 

ラビンドラナートは、それについて美しい詩を書いている。

 

彼は宮殿を去った。

12年間、彼は森林を歩き回り、修行して瞑想した。

そして究極の悦びの日が訪れた。

彼は光明 enlightenment を得た。

 

当然、彼が思い出した最初の事は、

彼が愛した女性、後に残してきた子供、

今なお彼が戻ることを望んでいる老いた父親に、

良い知らせを伝えるために宮殿に戻ることだった。

 

それはとても人間的だ。それはハートに触れる。

12年後に彼は帰って来た。

 

どの父親もそうであるように、彼の父親は怒っていた。

父親は彼が誰なのか、彼がどうなったのかわからなかった。

 

とても大きくて、とても清み切った彼の個性が、見えなかった。

全世界がそれに気づくようになっていたが、彼の父親はそれに盲目だった。

 

父親はいまだに彼を、

すでにもう存在していない人格、

彼が宮殿を去った日に放棄した人格として考えていた。

(人格=生まれた後に作り上げた性格、偽りの自分、仮面。
    個性=生まれる前から持っている性格、本来の自分。)


事実、ゴータマ・ブッダ

ただ自分の人格を放棄するためだけ、

宮殿を去らねばならなかった。

 

彼は他人が彼について考えているものではなく、

あるがままの自分(個性=本来の自分)を知りたかった。

 

しかし今、父親は12年前の目で、

彼の顔を覗き込んでいた。

彼は再びゴータマ・ブッダに言った。

 

「わしはお前の父親だ。わしはお前を愛している--

たとえお前がわしを深く傷つけ、深く痛めつけようとも…。

わしは老いた、そしてこの12年間は拷問だった。

お前はわしのただ1人の息子だ。

お前が戻って来られるように、わしはどうにか生きていこうとした。

今お前は帰って来た。

帝国の統治権を受け継いで王になるのだ!

さあわしを休ませてくれ。もうわしは休息すべき時だ。

お前はわしに反抗する罪を犯した。

そしてお前は、わしにほとんどむごい仕打ちをした。

しかしわしはお前を許そう、

王になる機会はまだ開かれているぞ。」

 

ゴータマ・ブッダは笑い、そして言った。

 

「国王陛下、あなたが話している人物に、もう少しよく気づいてください。

宮殿を後にした男はもういません。

彼はだいぶ前に死にました。

私は別人です--私をよく見てください!」

 

すると父親はさらにひどく怒った。

 

「お前はわしを欺くつもりなのか?

わしがお前を知らないだと?

わしはお前のことを、お前が自分自身を知っているよりもよく知っているのだ!

わしはお前の父親だ。

わしがお前を誕生させたのだ。

お前の血の中にはわしが流れている--

それなのに、わしがお前を知らないだと?」

 

ゴータマ・ブッダは言った。

 

「それでも私はお願いします、殿下…。

あなたは確かに私を誕生させてくださいました。

私はあなたを通してやって来ました。それは本当です。

しかしあなたは、ただの乗り物だったのです。

ちょうど、ある人が馬に乗っているという理由だけで、

馬が乗り手のことを知っていることにはなりません。

私はあなたの身体の扉を通過しました。

しかしそのことで、あなたが私を知っていることにはなりません。

実際のところ、

12年前、私は自分が誰であるかすら、知らなかったのです。

 

今、私は知っています!

私の目の中を見てください。

どうか過去を忘れてください--

今と、ここにいることです!」

 

しかし、父親にはできなかった。
彼の老いた目、怒りと喜びの涙で一杯になった目では、

彼はゴータマ・ブッダに何が起こったのか見ることはできなかった。

 

「あいつは何と馬鹿げたことを話しているのだ、

あいつは死に、再び生まれただと?

あいつは全く違った個人であるだと?

あいつはもう人格(パーソナリティ)ではなく

個(インディヴィジュアリティ)であるだと?」


辞書では、

人格「パーソナリティpersonality」と

個「インディヴィジュアリティindividuality」は

同義語だ。

それらは生においては同義語ではない。

 

人格は偽物、見せかけ、外観だ。
個であることがあなたの真実だ。

 

なぜ私たちは、

自分に注意を払ってもらうために、

とても多くの人々を欲しがるのだろうか?

 

なぜ私たちは、これを強く望むのだろうか?

 

それは人格を作るためだ。

 

そして自分自身の周りに人格を作れば作るほど、

あなたのが知られる可能性は少なくなる。

人格=生まれた後に作り上げた性格、偽りの自分、仮面。
    個性=生まれる前から持っている性格、本来の自分。)


そしてゴータマ・ブッダが彼の妻に会いに言った時、

彼女はもっと怒っていた。

彼女はたった一つの質問をした。

非常に意義深い質問をした。

彼女は言った。

 

「聞きたいことが一つだけあります。

長い年月、私は待っていました。

そこでたった一つ質問があります。

その質問は単純です、しかし正直でいてください。」

 

彼女はまだ、ゴータマ・ブッダがごまかすだろうと思っていた。

 

「正直でいてください。真実であってください。

そして私に、一つの事だけを言ってください。

あなたが森の中で達成したものが何であれ、

それは宮殿のここで達成することは不可能だったのでしょうか?

神は森の中にだけいて、

この市場にはいないのでしょうか?」

 

彼女の質問は、途方もなく意義深い。

ゴータマ・ブッダは言った。

 

「そう、真理は森の中にあるのと同じくらいここにもある。

しかし、それをここで知ることは、私にとっては非常に難しかっただろう。

なぜなら

私は人格の中で自分を見失っていたからだ。

 

王子という人格
夫という人格
父親という人格
息子という人格の中で…。

 

自分が誰であるかを私に思い出させる者が誰もいないように、

そして私が「自分は誰か?」という問題に自分で答えられるように、

自分の人格を後へ残して去って行っただけだ。

 

私は自分自身と対面したかった。

私は他人の応答には興味がなかった。」

 

しかし、

他の誰もが他人の応答に興味がある。

誰かが「あなたはとても美しい」と言う時を、

あなたはどれほど愛することだろう。

 

人格(パーソナリティ)は展示品だ。

それは

他人を欺けるが、

あなたを欺くことはできない、

少なくとも長い期間においては…。

 

自分のインディヴィジュアリティ)を楽しむことができると、

あなたは自由だ--他人への依存から自由になる。

 

もし彼らの注目を求めるなら、

代わりに代価を支払わねばならない。

それは束縛だ。

人々に自分への注目を求めれば求めるほど、

あなたは商品(販売して購入できる物)になってしまう。

 

 

oshoの講話、the book of wisdom / アティーシャの知恵の書より抜粋

この講話の英語のPDFダウンロードはこちらです。

http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=2

 

 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 


自分で自分を苦しみから救うためには

 

光明 enlightenment が起こる必要があり、

 

光明 enlightenment が起こるためには、

 

自分の人格である

 

自分の内側にある

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

を全て根こそぎ『手放し』

空っぽの0(ゼロ)の無にしなくては、

その本来の自然な状態であるの光明 enlightenment

再び「感覚」で『思い出す』ことはできません。

 

そして明け渡し surrender が必要です。

 

 

人格(ペルソナ)は生まれた後に

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

によって作り上げた性格であり、

 

人間の本来の自然な状態の『魂(源泉)』の愛と至福ではありません。

 

ですから、

やはり人格(ペルソナ=エゴとマインド)である

◯ エゴ(自我・欲)を捨てなくては

光明 enlightenment が起こることはありません。

 

なぜならば、

光明 enlightenment の『本来の自然な状態』『魂(源泉)』とは

「偽りの私(自分)=人格」(ペルソナ)の状態ではないからです。

 


ゴータマ・ブッダは生まれた後に周りの環境や状況によって条件付けをされ、

あらゆる人格を身につけて生きてきました。

 

それを全部落としなくすためには、

宮殿を去ることをしなくては『本来の自然な状態』を取り戻せないほど

周りの人間たちからの圧力が強かったのでしょうね。

 


ゴータマ・ブッダだけでなく、

これは全ての人間に起こっていることです。

 

 

人間は人格個性のギャップ(違い)が大きいほど、

本来の自然な状態(個性)『魂(源泉)』を見失い、

それは大変苦しむ原因となっています。

 

 

今も二千年前の昔も人間の持つ苦しみ原因は変わらないものなのですね。

 

 

なぜいまだに

二千年前に人間を苦しみから解放する答えを得た

ゴータマ・ブッダの導きが大切に伝え続けられているのか…

がわかる気もします。

 


息子には王になって欲しい!

というエゴとマインドで雁字搦めになっていた父親王には

本来の自然な状態のゴータマ・ブッダが見えなかったのです。

 

 

人はみなそれぞれの生き方がありますから、

父親王は父親王の人生を生きたのでしょうね。

 

ゴータマ・ブッダは彼の人生を生きたのです。

 

親子といえども、

人生の道は違って当たり前で、

それが自然です。

 

 

父親王以外の多くの人達は、

光明 enlightenment が起こった

本来の自然な状態に生まれ変わったゴータマ・ブッダの導きにより、

『気づき』が起こり

苦しみの原因(種)である

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

を『手放す』ことができ

自分で自分を苦しみから解放でき喜んでいました。

 

ゴータマ・ブッダは弟子となった

妻ヤショダーラや息子ラーフラ

他たくさんの弟子たちとともに

80歳になるまで村から村へと歩いて周り、

1人1人を苦しみから導くことや

弟子になったも者たちを光明 enlightenment へと導きました。

 

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人は自分で自分を苦しみから救うことができる、

それは本来の自然な状態『魂(源泉)』と『存在全ては一つである』

という真を『思い出す』こと(光明 enlightenment を得る)である

 

 

ゴータマ・ブッダが最後に残した言葉は、

sammasati サマサティ

  

 

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

 


sammasati サマサティ(right remembrance)
正しく想起する

『The last word is Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha - sammasati.』

瞑想と愛 meditation & love

 

 


花仙人

 

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

 

瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

(わたしは第七と九巻をまだ持っていないのでこの写真の中にその2冊の本はありません。)

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 


oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 


oshoの瞑想音楽はこちら、

 

 

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花仙人

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